「そうだ、京都へ行こう。」というフレーズは全てを捨てることができない現実とうまくマッチングした現実的な対処方法を提示している。
こんな記事を見つけた。
全財産はランボルギーニ:全米を放浪
家と車と婚約者を手に入れたと思った時、彼女は彼のもとを去った。
すべてを処分して購入したランボルギーニで米国中を放浪した男の物語。
http://wired.jp/wv/2010/06/29/%E5%85%A8%E8%B2%A1%E7%94%A3%E3%81%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%EF%BC%9A%E5%85%A8%E7%B1%B3%E3%82%92%E6%94%BE%E6%B5%AA/
本作『NOT LONG AT NIGHT』の主人公の女性は自分の結婚式の日に今まで貯めていたもの「お金」「靴」「招待状」「お別れの挨拶」「口紅」「夜」を捨てて旅に出るのだが、まさに本作の男性バージョンと言っていい物語。
誰もが一度は、憧れたり、妄想したり、考えたりする「全てを捨てて旅に出る」という設定。
「全てを捨てて旅に出る」という事と「どうしても捨てることができなかったもの」。
旅は、捨てる作業と回収する作業のどちらも所有している。
「誰かの期待に沿って生きるということは、もともと無理な話だ。自分に従って生きたほうがいい――そして僕にとってはそれは、可能な限り自由であることだ」とこの記事の男は話す。
こんなに難しいことでも、やろうと思えばできてしまうという「希望」。
人って面白い。
余談だが、映画『ダークナイト』でブルース(バットマン)が街に出かける時に「ランボルギーニで行く」と言った際、アルフレッドが「ずっと地味です。」と答えるシーンがとても好き。